记一篇日语短文

Keif

今年(2019)7月的JLPT也快要开始了,我最重要的一个...emmm...朋友,参加这次的N2考试,祝愿拿到好成绩。??

两年前,大三的暑假,似乎比今年的夏天更加闷热一些,我第一次参加JLPT,也是N2。糊里糊涂刷了不到半本红蓝宝书,外加几套真题,就这样跑去另一个校区考试了。(考试前一天有点感冒,突然发烧头痛,好在睡了一下午就好了很多,想想自己当时也是心大?)

那次的N2似乎比往年真题简单一些,接近3小时的答题时间过得还算舒适,本科3年各种突击应付式的考试都快让我忘记了这种——沉浸在试题里的紧张、兴奋和满足感。

那年的最后一篇长阅读(除去海报内容理解那篇)答得很开心,难度适中,文笔优美(按我的审美来说?)。尽管是篇鸡汤文,但也强烈地让我想去拜读一下原作,可惜当时没能把出处记下来,也没办法Google到。最近不知为何又突然想起这篇文章,遂找出了当年的真题卷重温一遍,顺手在这做一下记录。


​ 人生はいつも旅になぞらえられる。

​ 人は人生という旅路を、地図もなく歩いている。誰しもそうだし、それが人間としては自然な姿である。人生に地図などあるわけがない。なのに人は、人生の地図を持とうとするのが常だ。暗闇の中を歩くのが不安で仕様がないのだ。迷ってしまった時の恐怖を想像したくないからだ。

​ そして自分の地図には、人生の設計図としてわがままな道程が記されている。三十歳までには結婚し、三十五歳頃には二人の子どもをもつ。四十歳には課長になり、五十歳までには何とか部長に昇進する。

​ (中略)

​ 人生の地図に描かれた道を、その通りに歩むことができるなら、そんなに楽なことはない。一度も脇道にそれずに、ただまっすぐに歩くことができるのなら、人は何も悩まなくても済むだろう。そんな人生を送る人間は、おそらくこの世に一人もいない。もしそういう人間がいるのだとしたら、それはその人間の人生ではない。その人生は他人から与えられたものに過ぎない。

​ 五十歳の時には部長になっている。これは今という現在地から見た目標であろう。目標を持つことはもちろん大切なことだ。しかし、その目標へ辿り着く道は決して一本ではない。五十歳という現在地に立った時、もし部長になっていなければどうするのか。一枚の地図しか持っていない人、あるいは決して地図を書き変えようとしない人は、そこで人生の現在地を見失ってしまうだろう。「今、自分はこの場所にいるはずなのに、全く違う所に来てしまった」と、そんな思いに囚われてしまい、行くべき道も見失ってしまうのである。

​ 地図を持たない人生が不安であるならば、地図を持てばいいだけのことだ。しかし、その一枚の地図にこだわってはならない。常に現在地を確認しながら、どんどん地図を変えていくことだ。

​ 少し脇道に入ってしまったのなら、その脇道を歩いてみればいい。無理をして元の道に戻ろうとしても、余計に迷うだけだ。脇道を歩いているうちに、いつの間にか元の道に戻ることもあるだろうし、また別の大通りに出会うこともあるだろう。人生には数え切れないほどの道があることを知っておいたほうがいい。今いる場所さえしっかりと認識できていれば、人はどんな道だって歩いていくことができるものだ。

(立松平和『人生の現在地---まだまだ迷っているぞ、私は。』による)

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